大切にしている6つの想い
この6つの想いで、
仕事・活動をしています
ブログでもSNSでも(このホームページでも)、何回もこの言葉を使っています。
人は思いの強さで動いている。
仕事も活動も、趣味もぜーんぶ、私たちの気持ち=想いがさせている。
1本の糸って、いろんな技法で布という面になります。
” 織る、組む、編む、結ぶ "
それはまるで、人生の様、、、、、。
皆、違う。
関わり方も人それぞれ。
私には私の想いがあって作り方があって、あなたにはあなたの想いがあって作り方がある。
" 1本の糸として人と関わる "
そのことによって、私の、そしてあなたの人生という布が、キラキラ輝けるようにーーーーー。
私のことは、このページの最後に綴っています。(^^;
お時間のある時にでも、読んでみてくださいね。
ちなみにこの写真は、【生徒さんの夢叶えるために】生徒さん作品集作るよ、という事を掲げ、挑んだ(?(^^;)作品撮影での写真。
ずっとずーーーっと、生徒さん作品集を作ることが、生徒さんの夢でもあり、私の夢でもありました。
その " 想い " が、多くの方の力を借りて、「作品集」という形になったーーーー。
やっぱり、人って想いの強さが、行動する源・エネルギーになるんだな、、、って実感したイベント(^^;、でした。
1.【お茶会:友遊マスカットの会】
" ちょっとだけ丁寧に、丁寧でいたいね " がコンセプトのお茶会
生活のすべて、全部が丁寧でいたいけど、そうはいかないでしょ。(^^;
でもきっと人って、どこか " ここだけは!!” とかいうこだわりってあるハズ。
この写真は、うちのキッチン出窓の写真です。
庭のお花をちょこっと切ってきて、ちょっとだけ飾っています。(^^)
これが私の " ちょっとだけ丁寧に " です。(^^;
ホントにちょっとだけの時間、ホントにちょっとだけの楽しみであり、こだわり、、、、。(^^)
お茶会では、それぞれの方のこだわり=ちょっとだけ丁寧に、を語ってもらっています。
月一回程度の集まり。ハンドメイド系の方もいれば、違う方もいます。
異業種交流会、、、のような会??かなぁ。(^^;
そして、” 丁寧でいたいね " としたのは、聞き専の方も参加OKとしています。
「全然丁寧じゃない、、、、」
って方も(きっと何かあるとは思うんですけどね)、参加していただけるように、と思っています。
そしてそして、大きな夢は、お茶会メンバーがそれぞれやりたい事を助けて応援していければなぁ、と思っています。
何か教えたい人はセミナー開催をサポートしたり、モニターさんが欲しい時には、モニターになったり。
一人ではできなくても、皆でサポートし合える、、、、そんな仲間づくりになればと考えています。
マスカットの様に、一粒一粒がおいしくてキラキラしている。
でも、全体は " ぶどう・マスカット "
そんな会を目指しています。
まずは第一弾のイベントとして
’23年11月に、東京で作品展をする予定となっています。(^^)v
ブログでもっと詳しく語ってます。
2.【時間をかけて作る物の大切さ】
" 時間をかけて作る物の大切さ " 伝えていきます。
ある意味、今の時代と思いっきり逆行しています。(^^;
アルメニアンレースというレースを教えながら、私自身も制作しています。
このレース、紀元前2千年以上前の技法、とも言いわれています。
針と糸だけを使って、1目1目糸を渡して結び目を作って、また渡して、、、、、と繰り返します。
糸の渡す長さで、いろんなデザインになっていきます。
ホントにスッゴク時間がかかるーーー。
けど、作品展などをやった時、来てくださった方々が口々に「スゴイですねぇ、、、、どれぐらい時間がかかるんですか?」そう言います。
” 時間をかけて作る物 " に、ちゃんと価値があるってこと、分かっているんですよね。
でも、今の時代、" 時短が美徳の時代 "
だからこそ、" 時間をかけて作る物の大切さ " 伝えていきます。
ブログでもっと詳しく語ってます。
《提供しているコンテンツ》
☆アルメニアンレース教室 アルメニア大使館お墨付き・オリジナルデザインのレース教室
☆「J:COMの番組・狛江人図鑑」出演:” 時間をかけて作る物の大切さ " を伝える教室として、取り上げてもらいました。
☆ゆさあきこの手織り教室:1対1アドバイス、キットを使わない、オンリーワンの布作りをサポート
3.【豊かさの定義】
" 豊か " ってどういうことなんだろう、、、、。
コロナを経験したからでしょうか?
なんとなく、価値観が大きく変わっている気がしています。
私だけかもしれませんが、、、、。(^^;
「いっぱい土地を持っている」
「高級車を所有している」
「高級ホテルの泊まる~」
とか、そういう事がそういう事をしている人が、" 豊か " なのか、、、????
そりゃあ、「高級ホテルでお泊りして、リッチな食事して、、」ってちょっとはやってみたい気もしますよ。(^^;
でもそれができるから、「" 豊か " なのかなぁ・・・・??」
そんな想いから、この【豊かさの定義】という事を、《大切にしている6つの想い》に入れてみました。
お金を使わないで生活できたら、その方が豊かなんじゃないかーーー???、この頃そんな事さえ思ってしまいます。
(この写真は、庭で採れたブルーベリー。毎年毎年成ってくれてちょっとですが収穫しています。その度に、" 豊かさ " を感じるんですよね~)
《提供しているコンテンツ》
このテーマでのコンテンツ提供は、まだないかなぁ。。。。
" 豊か " に感じる事、繋がる事などみつけていって、提供できるようにしていきますね。
ブログでもっと詳しく語ってます。
4.【想いを言葉と歌にして】
パフォーマンス:語り唄を作っています。
”語り唄”とは、私が作った造語。
歌+朗読+語り=語り唄
いわゆる、踊りのないミュージカル。
ミュージカルって、セリフ言ったかと思うと、歌うでしょ。
そういう形式で、朗読の部分と歌の部分がミックスされているパフォーマンスの事を、”語り唄”と名付けました。
日頃のちょっとした気づき、感じた事などを題材にして、作詞作曲台本を制作しています。
’20年11月~’23年3月まで、インターネットラジオゆめのたね放送局のパーソナリティとして、「あなたと私の語り唄」を担当。
1回目の放送番組、2回目の番組、、、各30分のラジオ番組です、お時間ある時にでも聞いてね。(^^;
ブログでもっと詳しく語ってます。
5.【あの日の広島:体験談を聞きましょう】
5番目ですが、私の最も大切にしている想い。
仕事先で出会ったおばあちゃまから直接聞いた事を、「語り唄 ” あの日の広島 "」として形にしました。
毎回、この「語り唄 ” あの日の広島 "」を人前で披露するたびに、心が震えます。
私はそのおばあちゃまから、” この事を伝えてね、、、" そうバトンを渡された様な気さえしています。(ここまで書いて、涙が出てきそうになる、、、、)
争いが何をもたらすのかーーー、感じてほしい。
ただそれだけ、です。
’22年8月5日の東京新聞朝刊に、掲載されています。
ブログでもっと詳しく語ってます。
北海道札幌生まれ。10才の時に父の仕事で東京に転勤。
それ以来ずっと東京。
☆趣味:仕事(^^;この頃そう思う、歌う事(ひとりカラオケ)、ミュージカル観劇・特に宝塚♡
運動(筋トレ、ジョギング、水泳)、食べる事大好き
☆羽生結弦くんファン♡:結果をだせるメンタルスゴイ!!
☆掃除は2ケ月ごとに中掃除してる
☆日課:毎晩、寝る前にキッチン&洗面所&お風呂周りを整えてから寝る
☆性格:何か始めると最後までやりきる、やり終えないと気が済まない。
ので、絶対にゲームとかには手を出さない。
頑固だけど、素直(ホントか??)、感動しやすい&涙もろい
なんでも自分でやってみる・作る事が好き。
☆お酒:スッゴク弱い。ワイン2杯で寝ちゃう。
☆出っ歯なことが、マジで嫌。。。。(TT)
【年齢性別国籍なんて関係ない】
これ、ずーーーーっとずっと、もしかしたら子供の頃から思っていたことかもしれません。
「いくつですか?」
「ご結婚は?」
「お子さんは?」、、、、、
ホントはもうそういう質問には、答えたくないなぁと思ったりする。
けど、人と話すときのキッカケとして、必要だなと、大人になった私は思って、答えています。(^^;
とはいえ、身長体重年齢はヒミツ。
年齢より思いっきり若く見られるようで、以前本当の年齢を生徒さんに言ったら、「いい年して結婚もしないで、!!」って、お説教されたことがあります。(^^;
その時に、"
人って見た目年齢で対応していて、実年齢が分かると急に態度が変わる " と思った。
だったら言わなくてもいいんじゃない???
70才でも80才でも、5才でも16才でも、対等に、対等でありたい。
対等に接していきたい。
そう思っているし、そうありたい。(^^)
【子供の頃の夢】
小学校の卒業アルバムに、
「ファッションデザイナーになりたい」
そう書いた記憶があります。
だから、ホントに某アパレルの企画:デザイナーとして就職が決まった時には、天にも登る嬉しさでした。
文化服装学院デザイン専攻卒。
これが最終学歴。
今でも一番の適職はデザイナーかな、と思っています。
【手織りとの出会い】
アパレルデザイナーとして勤務後、某女子短大の被服科助手として勤務。
その際に手織りの先生に付いたのが、手織りとの出会いでした。
その先生が非常勤の方だったので、いつ生徒に聞かれてもいいように、学んだことが、手織りに魅了されたキッカケです。
この助手も約3年で退職。女の薗は私には、全然、全く肌に合わなかった、、、、、、。
デザイナーから助手に転職、というのは、かなりの畑違い、、、ってことだということですかねぇ、、、。(^^;
続かないのは、仕事、、、私の時代は終身雇用・就職した先でずっと勤務(まぁ女性は寿退社)が普通。
なのにねぇ、、、勢いで辞めちゃいました。(^^;
【親との関係】
男尊女卑が著しい父。
ちゃぶ台返しなんて、何回も。
4人兄弟の長女:第一子。
「女の子はこうあるべき」
「お姉ちゃんなんだから」
もう、そのことでどれだけ父とケンカをしたことか、、、!!!!!!!
今だったらDVといわれるぐらい、殴られたことも多々ありました。
でもね、やりたいことはさせてくれた。
学校にも行きたいところに行かせてくれた。
頑固なんだけど、子供と遊ぶのが大好きな、子煩悩の親父さんです。
父とのケンカで、いつも仲裁していた母。
4人の子育てしながら、ちゃんとご飯も手作りで。
しかも、ほぼ毎日、お姑さんのお店のお手伝いを、タダ働きでしていた頑張り屋の母。
「あきこは何でもできるね。」
そう言って育ててくれた。
今思うと、このことが、そう言われて育ってきたことが、私の根っこ・芯にある気がしてる。
シンドイ時でも「できるな、私」
自然とそう思えるのは、母のこの言葉のおかげ。
【母の死そして父の介護、その父の最期】
働き過ぎだよね、母は。
お酒もタバコもしないのに、50代で逝っちゃった。。。。
母の死から立ち直るのに、私は7~8年かかった。
この間、ほとんど友達とも会えなかった。
後悔した。
亡くなる2年ほど前に、母が乳がんになった時に、一緒に病院探して、行けばよかった。
そのころの私は、一人暮らしをしていた。
母のプレッシャーから逃れたかったから、家を出た。
「あきこは何でもできるね」→ この言葉が、いつしかプレッシャーになっていた
今思うと勝手に自分で、それをプレッシャーだと感じていただけなのに、、ねぇ。
母が亡くなる数か月前に、一人暮らしをやめて、家に戻った。
兄弟たちは、不満だったみたい。今さらなんで戻ってくるの!!???ってね。
でも、結婚して戻ってきたワケでもないんだから、いいじゃん、戻ったって。(^^;
その時マンションの更新があって、更新料が安いところに引っ越ししようと思ったけど、どこも見つからず、半分仕方なく戻った。
多分、母が引き寄せたのではないか?そう思ってる。← 都合のいい解釈(^^;
母が亡くなって25年ほど経って、父が余命宣告ーーー。
シンドイですよね、この余命宣告ーーー。
父は余命の事、知らなかったけど、病気のせいで免疫力が低下して、何回も何回も入退院を繰り返した。
その度に弱っていくから、薄々、もう長くない事は気づいていたと思う。
私は、母の事で後悔したから、父の時には絶対に後悔したくない、そういう想いがあった。
教室の仕事終えて、ご飯作って冷蔵庫に入れて、即病院。
面会時間が終えるまで、付き添って。
トイレに付き添って連れていったり、オムツも替えた。
帰宅したら、パジャマ選択して、仕事の準備して、ブログ書いて、、、。
寝るときも、父の隣。
3時間おきに、体が痒いといって起きて、その度に背中に薬を塗ってた、、、。
でもね、そんな時間がいとおしかったーーーー。
もう来年は無いかもしれない、父との時間だったから。。。。。
長くなるから、ここでは書かないけれど、いっぱいいっぱい、毎日、いろんな気づきがあった。
父の看病介護は、私を成長させてくれた。
ある日、自宅で療養している父が
「あきこ、お前はよく働くな」
ボソっと言った。
私の心が、すーーーって解けた。
詰まっていたものが、取れたように、すーーーって解けた。
「あぁ、私、お父さんに褒められたかったんだ」
そう思った。
今、介護看病されている方も、いらっしゃるかと思う。
後悔しないで、後悔しない選択をしてくださいね。
いなくなってからでは、やり直せないから。
父が " やりたい事、こうしたいって事 " 全部叶えようと、思ってた。
息を引き取った時、無事に父を " 看取った、見送れた、、、、" そういう安堵に包まれた。
父の書いたノートを見つけたときには、涙が止まらなかった。
ちょっと体調がよかった時に、一緒に出掛けて買った、1冊のノート。
その時に行った " 北海道物産展 "
買ってもらったミントのハンドクリーム。
今も、使わずに持っている。。。。。
【親がいなくなって】
妹と話したことがある。
「なんでこんなに早く、お父さんお母さん、いなくなっちゃったんだろう」
90才100才まで生きる時代なのに。
きっと
「もう自分の事、好きな事思いっきりやりなさい、やっていいよ」
そう言っているんじゃないか、って思ってる。
だって、今また、あの父の時の介護看病をやって、って言われてもできないと思うから。
この父と母の子として生まれ、育ったことに、言葉では言い表せないぐらい感謝をしている。
そして、この時代に、この日本で生まれ育ったことにも。
時々言われる。
「なんでそんなに、頑張れるの?」
答えはひとつ。
この父と母の子として、生まれたから。
不思議な事に、この答えが私の中で、はっきりしてから、(実際は、笑ってごまかしてて、この言葉を声に出して話しては、いませんよ)、自分だけではなく、関わる人全ての人に、感謝とリスペクトを感じる私がいます。(^^)
長かった~~、、、
ここまで呼んだ人いるかなぁ~、
いたらスゴイ!!ありがとう~~!!! (^^)/
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